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福祉のみかた 第2回

親が子どもの進路を決めるのは、『過干渉』なんでしょうか?

核家族化や少子化がいっそう進み、家族のあり方も大きく変わってきています。
社会のなかで家族の存在がどこか頼りなくなっている一方、家族のあいだの、特に親子の距離感が、より近くなってきているようにも思われます。
最近では、子を対象にしている催しや行事にも親が参加することが増え、たとえば受験生向けである大学のオープンキャンパスや企業の入社式などでも、子と一緒に参加する親の姿が当り前になってきていると聞きます。
なかには、子が学ぶ大学を選ぶ場に親が顔を出すのは、ちょっと子に関わり過ぎなのでは?という意見も。これから進む道を決めるのは子本人ですが、選択の段階でいったい親はどのくらい関わればいいのでしょうか?

情報を得たいと思っているのは、子か親か、どちらなのでしょうか? 潮谷義子前理事長

子どもの「これから」に関わりたいのは、当然かもしれません

日本社会事業大学のオープンキャンパスでも、たしかに親子で参加している人たちを良く見かけますね。他の大学においても、きっと同じような状況なのでしょう。

親とすれば、子が大学へ通うあいだは親の側が学費などを払うことが多いわけですから、子がどんな大学を選ぶのかと自分でも確かめようとするのは、当然といえるかもしれません。仮に、子の選択を確かめるだけでなく、どこを選ぶべきかを一緒に考えることがあっても、それほど関わり過ぎとはいえないような気もしますね。

ただ、実際のオープンキャンパスでの様子を見ていますと、子よりも親の方がずっと熱心になっている姿も見受けられる状況のようですね。

家族や地域が機能しないと、子育ては孤立しやすくなります

ただ、子の進路をつい案じてしまう親の気持ちというものは、いつの時代でもそれほど変わらないような気もしませんか?それこそ、教育ママとかパパといった言葉は、もう半世紀も前の高度成長期からありましたよね。


仮に、少子化を背景として、親が子の教育へ一層熱心になっていく傾向はあったとしても、それだけでは、理由として足りないように感じるのです。むしろ、親子も含んだ、家族のあり方が変わってきていることが、こういった状況を生む背景にあるのではないでしょうか。

核家族が当り前になったのは、もうずいぶん以前のことです。身近な先例として学ぶことがすでに少なくなっています。さらに、地縁的なコミュニティも成立しがたい状況になっきています。だから、子を育てるにも、身近なところに〝モデル〟が少なくなっていると思います。

どれだけ育児書やインターネットに情報があふれていても、家族や地域が見守りの環境として機能しないなかでは、子育ても孤立してしまいがち。より良い子育てをしなければと親が思うほど、子との密着度ばかりが強くなり、かえってまわりが見えなくなってしまう。理想とする育て方にこだわったり、期待し過ぎたりすることで、結果として、子をいつまでも自分の支配のもとに置いてしまいやすくなる、そんな土壌があるような気がします。

親子の関係を支えられない社会に、未来はあるでしょうか

子を思うあまりに関わり過ぎてしまう母親。子育てに存在感を示せない父親。そして、求められていることと自身の実体とのあいだのズレに、親の愛を強く感じているからこそ、よけいに苦しむ子。「過保護」や「過干渉」、あるいは「毒親」などという言葉も、そんな悩める家族の構図のなかから出てくるのでしょう。

メディアでは、突出した親子の事例がおもしろおかしく取りあげられがちですが、誰もがそうなるかもしれない日常的なことと捉えるべきではないかと思います。

もちろん、そのような関係は、親と子、どちらにとっても良いことではありません。とくに、子が成長し自立していくことが妨げられてしまうと、その家族だけでなく、社会にとっても大きなダメージとなるはずです。親子の関係をうまく支えられない社会に、おそらく明るい将来はもたらされないでしょう。

また、母子だけ、父子だけで、親子関係を築いていかなければならない場合もあるでしょうし、ときには親のいない子を育てる場合もあるでしょう。家族が失われたときには、社会がその子を育てなければならないのです。 血縁関係だけに問題の解決や改善を求めるのではなく、社会的な縁(えにし)の中でも子育てを考えることが必要です。

【家族類型別一般世帯数の将来見通し】
家族類型別一般世帯数の将来見通し
[出典:厚生労働省 平成28年 国民生活基礎調査の概況 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa16/dl/16.pdf]

子とともに親も育たなければ、いつまでも自立できません

では、どうするか。まず、親と子の間に愛着関係をしっかり樹立し、両者の間にベーシックトラスト(基本的信頼関係)を形成することが大切です。ベーシックトラストというのは、赤ちゃんが親に対して持つ最初の信頼感情のことです。お腹がすいたりオムツがぬれたりしたときに、赤ちゃんの泣き声へ応える存在が親であり、そんな親を、赤ちゃんは「不快を快に変えてくれる存在」として信頼するようになります。これが育たないと、他の人との信頼関係を育てることが困難です。

赤ちゃんが自分で動ける生後8カ月くらいになったら、行動範囲が広がり探索心も促され、赤ちゃんの世界が広がり、知的好奇心が芽生えてきます。命を守るために、抑制や禁止を伴う場合はもちろん必要です。できるだけ自分でやらせていくことで、自主性や探索心も育っていくのです。


でも、そのような適切な関係を築いていくことが、意外に難しいのです。赤ちゃんの泣き声へ応えるにも、できるだけ自分でやらせてみるにも、まず目の前の子の様子をしっかりと見ていくことが大切です。しかし、その子を見つめることよりも、よその子と比べたり、育児書を開いたり、あるいは大人目線から指示・指導することばかりではよくありません。

どんな親にとっても、子育ては試行錯誤の連続です。互いの信頼関係をうまく築けなかったとき、しっかり自立できなかった子が、親に背を向けたり、心のバランスを失ったりすることも、何度か起きるかもしれません。そうなってしまったときに、「取り返しのつかないことをした」と後悔する親も多いことでしょう。あるいは「子育てに失敗した」と、子に背を向けてしまう親さえいるかもしれません。さんざん干渉され過ぎたあげくに、自らの生い立ちまで否定されてしまっては、子の心はどれほど深く傷ついてしまうことでしょう。

子が自立できないだけでなく、親の方も子の発育状況をつかむ力を身につけられなくなってしまいます。子どもの成長を喜びをもって待つ姿勢も必要です。

子馬の命が、いろいろなことを教えてくれました

私がある社会福祉法人にいたときに、一頭の子馬が寄付されたことがありました。「ジロー」と名付けられた子馬は、施設にいた子どもたちみんなにかわいがられましたが、そのかわいさのあまり、いつも誰かしらがジローにエサを与えていたらしいのです。

ある日ジローは、食べ過ぎのために、お腹がパンパンに張って倒れてしまいました。苦しむジローの姿に、みんな必死でお腹をマッサージしました。獣医が駆けつけたときには、もう危ういほどの状況でしたが、何とか食べた物をたくさん排出させることができ、命を取り留めたのです。

「もし子馬が死んだら、それはみなさんが餌を与え過ぎたことが原因でしょう。小屋を清潔にし、運動や食事、排せつをチェックするなど、『育てる』ということの本当の意味を、しっかり学んでください」獣医は、そう話してくれました。生物は、自ら生きようとしているはずなのに、何でも与えて、何でも教えて、何でも代わってやってしまったら、自ら生きる力は奪われてしまいます。それは虐待に等しいことなのだと、子どもたちは気づき、大きな衝撃を受けたようです。「しかし、子馬を助けたのも、またみなさんかもしれません。優しさと『生きてほしい』と願う声かけに、子馬が力を与えられたのだと思います」

このことは、子どもたちがジローとの接し方を見直し、新しい関係を築くきっかけとなりました。その後ジローは元気に、そして幸せに過ごし、28年という長寿を全うしたのです。
潮谷義子前理事長

親子の関係は、いつからでも取り戻せて、また作り直せるのです

ジローのエピソードは、全ての子育てにとりくむ親に希望を与えてくれます。親が、自らも未熟であることに気づき、子をあるがままに愛する気持ちさえ持つことができれば、親子の絆を取り戻したり、作り直したりできるのです。そのためには、まず互いのことをきちんと見つめ、語り合うことが大切ですね。

オープンキャンパスへ出かけるときも、きっと同じではないでしょうか。私は、親子で参加することがおかしいとは思いません。でも、子自身がオープンキャンパスに行きたいのかどうか、もしそうなら、そこで何を知り何を感じてこようとするのかを、出かける前にしっかり話し合っておきましょう。そして、親が子を連れて行くのではなく、子自身が主体的にいろいろな情報を得ようとするのを、共感と寄り添う立場で対応するのだということを確かめ合い、同じ目標に向かって進んでいくことが何より大切なのだと思います。


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