ソーシャルワークを語る

「虐待問題を怒りではなく悲しみで受け止める心を持って」 社会福祉士、子ども家庭福祉学会等会員 宮島清 准教授

児童虐待の報道があるたびに悲しい気持ちになりますが、どう受け止めたらいいのでしょう?

人間の感情には喜怒哀楽がありますが、児童虐待に対しては怒り優先で受け止められていることが多いように感じます。“なんであんな親がいるんだ”とか、“なぜこんなことが起こるんだ”とか。すると対応も、怒りによってなされてしまう。

私は児童虐待に関しては、怒りよりも悲しみで受け止めるべきだろうと思っています。なぜかというと、悲しみの感情には、苦しみを受けている子どもへのより深い共感や、加害行為をしている親に対する共感があるからです。

怒りによる対応で解決するものは少ない。悲しみの目で見たほうがはるかに現実的だし、洞察力も深くなると思うのです。

難しい問題が多々あると思うのですが。児童虐待が起きたらどうすればいいのか、また起こらないようにするにはどうしたらいいのか、有効な対応策はあるのでしょうか?

大きく分けて2つ。一つは“命を救うことを全てに優先させる”こと。もう一つは“簡単に解決できる夢のような方法はないという前提で対処する”こと。

前者の方は、まず現場に行くことが重要です。これは現在はかなり徹底され、国の指針にも通告を受けてから48時間以内に子どもを目視するという時間設定が明記されています。

後者については、状況の改善を一歩でも進めるために、何回も通う、会い続けるという現実的な対応策が求められます。虐待死ゼロは理想ですが、安易にそれを目指せば、過剰な家庭への介入となってしまいます。現実的な努力を続けていかなければいけないと思います。

現実的に虐待がなくならないであろう状況の中で、ソーシャルワーカーは何ができるのでしょうか?

ある研究者による社会福祉の定義の中に“不断の努力”という言葉があります。これをやればうまく行くというように、安易に目新しい方法論に飛びつくのは慎みたい。一方で、困難に見えても、丁寧な支援を続けるにことには意味がある。人も社会も確実に変わっていくんだという現実的な楽観論は抱くべきだと考えます。またそれを社会に伝えていくことも、ソーシャルワーカーに課せられた役目だと思います。

加害者である親に対して、関わって良かったと思ったことは?

たくさんありましたよ。どうしても虐待対応というと、キツイとか、ののしられるとか、そういうことばかりが強調されがちです。私自身もストレス抱えました。

でも不思議と会い続けていると、人と人同士が付き合っているからこそ、そこから生まれる感情もあるし、それによって救われた命もあれば、家族が再生した例もある。ソーシャルワークの現場には、そういう喜び、真剣に生きる人と関わる実感を得られる場面がたくさんあります。

だから、一時期キツくなって現場から離れることがあっても、“あの喜びが忘れられない”と現場に戻ってくる人も多いんです。

これからソーシャルワーカーを目指す後輩たちへ、どういった心構えで学んでほしいかアドバイスをください。

人と社会、時代を理解することにおいて「薄っぺら・平板」にならないで欲しいですね。自分自身のことだってよく分からない。ましてや、他人のことは、よくわからない。

薄っぺらな見方をして分かったような気にならずに、様々なことを見つめ続けていく姿勢を持ってほしい。このことを若い世代の方たちには、是非心に留めておいてほしいですね。

コメント

社会的養護を受ける子供とその家族は、過去から現在まで、時代を超えて最も貧しく社会的に疎外された存在であり続けてきた。そして近年、この社会的養護は、虐待を受けた子どもたちの受け皿としての性格を色濃くしている。児童福祉の中で、とくに社会的養護に関わる政策及び実践を中心にともに考えてみたい。

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宮島清 准教授

略歴

1981年 明治学院大学社会学部社会福祉学科卒業。

同年 埼玉県庁入庁、知的障害児施設児童指導員、児童相談所児童福祉司、同一時保護所児童相談員、本庁児童福祉課養護担当などとして勤務する。

2005年3月 所沢児童相談所地域相談担当課長を最後に退職。

社会福祉士、子ども家庭福祉学会等会員。

担当科目

ケアマネジメント研究・演習・実習/ソーシャルワーク演習/ソーシャルワーク実習・実習指導/児童福祉持論/ファミリーソーシャルワーク

著書

『児童相談所の役割の変化と課題』(母子愛育会母子保健情報50号収録)

『社会的養護の現状と近未来』分担執筆(明石書店)

『里親と子ども』編集委員・分担執筆(明石書店)