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福祉のみかた 第6回

災害が起きたとき、ソーシャルワーカーは何ができるのでしょうか?

昔から、日本は幾度となく自然災害にみまわれてきました。
また、2011年3月に発生した東日本大震災では、激しい揺れや津波、水や土砂による被害だけでなく、原発事故による被害も加わりました。
近い将来には、より深刻な地震の発生も懸念されています。
だれもが突然、生命の危機にさらされたり、家族や住まいを失ったりする災害が起きかねません。

様々な環境で支援を行うソーシャルワーカーは、災害が起きたときにどんなことができるのでしょうか。

被災した人一人ひとりを尊重するソーシャルワークとは

だれもが等しく生活困難な状況となるのが、災害時

曽根: 福祉というと、障害のある人や要介護の高齢者など、誰かの支えを受けながら暮らしている人たちの話、と受けとめられがちかもしれませんね。でも、いつもは支えを必要とせずに自立して暮らせている人たちも含めて、だれもが等しく生活困難な状況になってしまうのが、災害時ではないかと思います。

ソーシャルワークが、困難な状況に置かれている人の生活を支援することだとすれば、被災した人みんながその対象となりますし、普段は支援する側だった人たちも、また被災しているわけですから、状況はとても込み入ってきます。しかも、東日本大震災では、多くの人が遠方へも避難し、それが長期化していますから、地理的にも時間的にもいっそう複雑な状況になっているのが現実ではないかと思います。

土屋: 災害が発生し、被災すると、言うまでもありませんが、今までの生活が一変してしまいます。東日本大震災のような大規模な災害であれば、多くの人々にその可能性が生じることになり、不自由な生活を余儀なくされることにもなりかねません。

そのうえ被災の度合いは、あたりまえですが一様ではなく、その場所、地域によって大きく異なります。誰もが等しく生活困難な状況となるかもしれない反面、ひとりとして同じ状態でない、と言えるのではないでしょうか。


災害ソーシャルワークセンター 土屋佳子客員准教授

災害ソーシャルワークセンター 島津屋賢子研究員

フェーズに応じて変化していく生活の課題

曽根: 大きな災害を何度も経験するなかで、福祉においても、これまでいろいろな取り組みがなされてきています。その過程を通し、共通して見えてくる課題もあれば、地域の特性や災害の種類による個別の課題も、また現われてくるようです。

そういった課題を捉えるのに、たとえば時間の経過を一つの目安として考えてみますと、災害が起きた直後は、人命救助や救援物資の確保など緊急対応の領域となりますね。災害時のソーシャルワークが本格化するのは、災害直後の緊急対応が落ち着き始めた後のフェーズからといえるでしょうか。

島津屋: それが、多くの人が避難所で集団生活を強いられる「避難所のフェーズ」ということになりますね。ただ、だれもが避難所へ移っているわけではなくて、自宅に残っている人も、急いで遠方に避難した人もいます。

土屋: 災害から数カ月経つと仮設住宅が整備されて、避難生活のおもな拠点は、避難所から仮設住宅へと変わっていくことになります。もちろん、すべての人が仮設住宅を選択するわけではなく、事情はおひとりおひとり違いますが、それでも「仮設住宅のフェーズ」と呼ぶことはできそうです。
それまでの集団生活から、いくらかはプライバシーを保てる個別の生活へ改善されることにはなりますが、個別になったことで人と人とのつながりが希薄になってしまうことも一方ではあります。

災害時は、普段からの課題が拡大してしまうことも

島津屋: その「仮設住宅のフェーズ」のあいだも、時間の経過につれて生活の課題はどんどん変わっていきますから、熊本地震の際には、仮設住宅の全戸調査なども行って、そのような状況の変化を的確に掴もうとしてきたのです。
時間の経過につれて生活や地域の課題は変化していきます。私は熊本地震の際に日本社会福祉士会の災害派遣活動に参加しました。その際には、被災された地域包括支援センターさんの支援を行いました。具体的な任務は仮設住宅の全戸訪問調査でした。

土屋: 私も、東日本大震災の際にスクールソーシャルワーカーとして活動したときには、地域の保健師のみなさんと連携しながら、仮設住宅への訪問を行いました。緊急時・非常時には平時の問題・課題が拡大する、というのは、支援者の間では認識されていたことだと思います。

曽根: そういうときに気をつけたいのは、被災した人たちの支援を、一様な「被災者」として集団で捉えないことではないかと思います。当り前のことですけれど、「被災者」にも一人ひとりそれまでの生活の歴史があり、例えば、「たくさん本を読む」「料理を作るのが好き」といった、豊かな個性を備えた個人です。しかし、災害時は「被災者」という一様な人として考えられてしまう恐れがあるのではないかと思います。 ソーシャルワーカーは、災害時においても、個人の生活に目を向けた支援を行うことが求められると思います。


「復興のフェーズ」と災害ソーシャルワークセンター

曽根: 各地でさまざまな災害が続いていますが、東日本大震災について考えてみると、現在は「復興のフェーズ」ということになるでしょう。ただ、日常の落ち着きは戻りつつあっても、将来への生活の不安は依然として大きく、生活基盤を築けないままの人も多いと思います。将来にわたって解決が難しい課題が、数多く残っています。

復興庁によれば、今も全国で6万5千人が避難生活を送っているということで、冒頭にも述べたように、その避難生活の実態がどのようなものになっているのかについては、把握する必要があると思います。

本学が、学長プロジェクトとして、2018年の4月に災害ソーシャルワークセンターを開設したのは、そのような現状を踏まえてのものです。

まずは、福島県の事業である避難12市町村の避難者支援の調査に取り組んでいこうと考えています。県内では、復興が進む一方で、今も帰還困難区域や居住制限区域が残されていて、地元に戻れない人たちがいますし、県外へ避難している人たちも多くいます。県内と県外の調査から始めますが、福島県が復興庁の交付金を活用して設置した生活再建支援拠点だけでも全国に26カ所ありますから、調査も広範囲に及びます。

私がセンター長を務め、土屋先生、島津屋さん、西田さんの3人のメンバーと一緒に、調査の内容や方法を精査していく段階ですが、先ほども触れたように、できるだけ個人の生活に目を向けた調査にしていきたいと考えています。

被災地の課題は、日本全体が抱える課題と共通する?

島津屋: 災害ソーシャルワークというと、被災してからある程度限られた期間のなかで行われること、という印象があるかもしれません。社会のなかで、何となく沈静化しているかのように見なされている現在だからこそ、求められることがあると思うのです。

曽根: たとえば、今言われている事柄として、高齢の方たちは、避難先から地元へ戻りつつあるものの、子育てをしている世代の人たちは、子どもが避難先の学校に入学するなどして、当面は地元に戻らない選択をしている人も少なくないということです。子どもを転校させる苦労や、原発事故による健康不安などから、なかなか地元へ戻れないといいます。


「平成30年度避難者等のための地域コミュニティ整備当基礎調査事業」の活動内容

被災地には、このような背景による「人口減少と高齢化」という課題が現れており、それは、日本全体が抱える課題と共通しているともいえます。全国各地で起きている地域コミュニティの維持という課題を視野に入れてみれば、それは、被災地だけでなく、日本の中山間地域が共通して抱えている課題とも重なってくるように思われます。

既に地域コミュニティの再生を図ろうとしている中山間地域での取り組みを、福島の地域コミュニティ再整備にも応用できるのではないか、そして、福島の被災地と中山間区域とが、地域同士で互いに支え合うこともできるのではないか、と考えを広げてみたいのです。

共通する課題を抱えた当事者同士が経験を共有しながら交流することができれば、ソーシャルワークにおいて重視される、エンパワーメントにつながるように思われます。もし、それが実現するならば、福島の地域コミュニティ再生の後押しになるかもしれません。実際の調査研究はこれからですが、単なる調査ではなく、福島の地域コミュニティの再整備に向けて、少しでもお役に立てるような取り組みをしていきたいと考えています。

被災地と中山間地域とのエンパワーメント

土屋: 私たち災害ソーシャルワークセンターは、福島の地域コミュニティの再生にむけて、調査研究ということを通して関わっていくことになりますが、少しでも福島の復興に役立つ取り組みをしていきたいと考えています。むしろ、私たちがエンパワーメントされることも多いと感じています。

曽根: 東日本大震災害の直後、私は地元の障害福祉サービス事業所の職員さんたちと一緒に、宮城県の南三陸町を訪ねました。津波で洗い流されてしまった海岸で、炊き出しの準備をしていると、被災した人たちが「またカレーですか?」と声をかけてこられたのです。

「被災地での炊き出しといえばカレーで」と考えていた団体が多かったのかもしれません。

私たちが用意して行ったのは、地元の埼玉県東松山市の名物、豚のカシラ肉をつかった「やきとり」でした。「やきとり屋」の店主に頼んで沢山串に刺してもらい、ビールやお酒と一緒に冷蔵車で運びました。しかし、炊き出しでやきとりを焼くのは私も含め素人ばかり。炭火を使って焼く「やきとり」は、なかなかうまくできませんでした。ところが、炊き出しに集まった地元の方の中から、「焼き鳥屋をやっていた」と言ってくださる方がいて、持ってきた全ての串を手際よくおいしく焼いてくれたのです。「被災者」ではなく、みなさん一人ひとりが「人」として生きていると感じた瞬間でした。

私たちは、これから出会う一人ひとりの人の生活の歴史を大切にしながら、地域コミュニティの整備について考えていきたいと思っています。


〒204-8555 東京都清瀬市竹丘3-1-30
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