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福祉のみかた 第7回

子どもの虐待を防ぐには、福祉機関と警察がもっと情報を共有すれば良いのでは

ひどい虐待を受けて、子どもが死にいたる。
そんないたましいニュースが、大きな話題になっています。
そのような事件が起こるたびに、厳罰を望む声がネットにあふれるとともに、児童相談所などの福祉機関の対応を批判し、警察の介入を求めるムードが高まっているように感じられます。

では、子どもたちへの虐待は、実際に増えているのでしょうか?
そもそも、児童虐待の実態や、その理由や背景はわかっているのでしょうか?
そして、警察と児童相談所が情報を共有すれば、それで虐待を防ぐことができるのでしょうか?

ただ憎むだけでは、虐待の本当の姿が見えなくなってしまいます

児童相談所の対応件数は、虐待の実態を示しているのでしょうか

たしかに、虐待によって子どもが亡くなり、親などが逮捕されるといったいたましいニュースが連日のように伝えられています。このようなニュースを耳にすると、それだけ虐待が増えているのではないか、という印象を、誰もが持って当然かもしれません。

実際、児童相談所が対応した虐待の件数は増加していて、2016年度は12万件以上もありました。まもなく公表される2017年度の統計でも、さらに増えるものと予想されています。

ただし、こうした数字が増える背景には、虐待かも?という疑いを抱いた周囲の人からの通報が増えたことがあります。とにかく早く通報しようというキャンペーンが行われ、189(イチハヤク)という児童相談所への短縮ダイヤルが設けられるなどして、社会に児童虐待を見逃すまいという意識が浸透してきた結果と見ることもできそうです。

そしてもう一つ、警察からの児童相談所への児童虐待に関する通告が近年急速に増えたことが、児童相談所の児童虐待の対応件数の増加の要因として挙げられます。夫婦、ここには事実婚や同居している交際相手との間のものも含まれますが、これらを含んだパートナーとのあいだで、DVやいさかいがあって現場に警察が呼ばれたときに、そこに子どもがいる場合には、警察から児童相談所に対して、子どもが心理的虐待を受けているとして、ほとんど全ての事案において通告が行われるようになりました。確かに、親や養育者同士の争いを目の当たりにすることは、子どもにとって厳しい体験で、心に深い傷を負うことになりますから、心理的に虐待を受けているということで児童相談所が対応することになり件数に反映されるわけです。

児童虐待相談対応件数の推移
虐待相談の内容別割合・虐待相談の相談経路
「児童虐待防止対策に関する関係府省庁連絡会議 第3回 」の「 厚生労働省提出資料 」(厚生労働省)(https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000335815.pdf)を加工して作成

心理的虐待の数が増えているのには理由があります

では、改めて、どんな内容の虐待が増えているのか、という点から見てみましょう。

児童虐待は、大きく「暴力(身体的虐待)」「ネグレクト(育児放棄)」「心理的虐待」「性的虐待」の4つの種類に分けられます。そしてこのなかで、対応件数がとくに大きく増えているのは、心理的虐待です。

この心理的虐待の急増が現在の虐待の特徴なのかといえば、そうとは言い切れません。心理的虐待の対応件数が増えているのは、先にもお話ししたように警察が先ず関わって児童相談所へ通報するケースが増えた結果と見ることができるからです。

つまり、これらの対応件数は、あくまで周囲からの通告や親自身が助けを求めるなどした数字でしかないのです。家庭という閉ざされた場で実際にどのような虐待がどれだけ起きているのかを、きちんと示しているわけではありません。隠れていたりや見えにくかったりする虐待も多いことからすれば、実際の増減の状況はわからない、というのが本当のところだと思います。

虐待によって死亡した子どもの約4割は、親子心中によるものです

とすると、まず必要なのは、実際に起きている児童虐待の多様な側面をしっかり見きわめ、その本質を考えようとする姿勢である、ということになりますね。

虐待によって命を奪われたとされる子どもは、毎年80人ほどいます。けれど、その4割ほどは親子心中によるものなのです。親が、自分や子どもの今の状態やこれからの生活を悲観して、一緒に命を絶ってしまうわけです。

また、予期せぬ妊娠をしたうえに、父親であるはずの男性が逃げてしまい、とても自分だけでは育てていけないと思い詰め、追い詰められた母親が、生んだばかりの子どもを殺してしまうことも少なくありません。心中の次に多いのは、生後0ヶ月0日の新生児を、遺棄してしまったたり殺してしまったりするケースなのです。

また、0歳や1歳の子どもを育てながら、親が育児ノイローゼなどの混乱した状況の中で、発作的に殺してしまうケースや、「子どもがなつかない」とか「しつけのつもり」といったことが発端になり、これが次第に悪循環となって歯止めが利かなくなることから虐待となる3歳から5歳児のケースも、虐待死の件数としては上位を占めます。

あらためていうことになりますが、たとえば心中事案を除いて最も件数が多い新生児遺棄・殺の事案だけに限っても、その親の状態は多様です。ニュースで記憶に残りやすい十代の少女や男女といった事案ばかりではなく、助けてくれる人がいないまま、性を売りホームレスに近い生活をしていた二十代前半の女性、結婚の約束を口にしていた男性が失踪し次の子どもは育てられないと思い悩む三十代の一人親の女性など、幅広い年代、多様な状況があるのです。

家族の幸せを願ったはずの親が、なぜ加害者となっていったのでしょう

そして、虐待をしてしまったこの親たちのほとんどにも、おそらく、はじめには家族の幸せを願った日々があったのではないかと、私は思っています。少なくとも、はじめから子どもを虐げるつもりで、家族をつくるという人は、ごくごく少ない、ごくまれだと思います。

もちろん、子どもを育てる過程で、大きなストレスを抱えたからといって、そういった親の誰もが虐待を起こすわけではありません。ですから、虐待をした彼らを擁護するということではありません。擁護ということではなく、事実として、何かがうまくいかず、望んでいたのとは違う状況が生まれる、歯車が狂い出し、それが次々と悪循環を生んでいく。そういったことは、誰にでも起こりうることではないのでしょうか。

その望ましくない状況は、親自身の個人的な理由による場合もあるでしょうけれど、多くの場合は、さまざまな社会的な問題と関わって生じているということが通例です。たとえば、一人だけで子どもを養育する孤立感や、低賃金で生活する経済的な厳しさは、重大な誘因となって悪循環を促進させるでしょう。身近に頼れる人がいたり、悪循環から引き出してくれる存在があったりすればともかく、そうでなければ、社会的な問題と結びついた様々な脆弱さは、容易に虐待の背景や引き金となり得るのです。

現在の日本が、誰もが子育てをしやすく、何かしら問題を抱えてもすぐにサポートを受けられる社会であれば良いのですが、そうではないとしたら、虐待が起きたときに「親が悪い」と切り捨てても、何も解決しないのではないでしょうか。親たちが何に追い詰められ、どのようにして加害者となったのかを、きちんと検証しなければ、虐待の本当の姿は明らかにならないでしょうし、それを防ぐ方策も立てられないはずなのです。

メディアや世論が、新たな心理的虐待を生み出しているのでは

しかし、虐待のニュースが伝えられるたびに、巻き起こるのは「鬼畜を許すな!」「親は極刑にしろ!」といった、憎しみの大合唱です。加害した親は悪人だと断罪する怒りのエネルギーが、ネットなどで沸騰します。

そして、その親やその周囲の人たちの名前や住所、写真などが、次々と探し出され晒されていくことになるわけです。そこには、誤った情報も多く含まれますし、単なる誹謗中傷である場合も多いのですが、誰も責任を取ろうとはしません。ただ鬼親憎しの感情だけが拡散されていき、実際の虐待の姿が冷静に捉えられることはないのです。

ここには、悲惨な面を強調し怒りを煽り立てるような報道のあり方や、目黒区の事件に限って言えば、それに応えるような警察による情報提供のあり方もあったように思います。


目黒区での事案もそうですが、虐待によって命を絶たれた子どもには、残されたきょうだいがいることが少なくありません。逮捕された後に、加害者となった母親が出産するという例もあります。

親を問答無用に断罪し、その家族や周囲に関わるあらゆる個人情報をネットに晒してしまうような世論のあり方は、それがその方々の正義感から発せられたものではあったとしても、残された子どもに「鬼畜の両親から生まれた子」という烙印を押しつけ、自分の存在がきょうだいを死に至らしめたのかも知れないという自責に満ちた人生を背負わせることになるのです。それが事実ならば、それはそれでやむ負えないのかもしれませんが、私にはそれが事実だとは思えませんし、とてもそのように言い切ることはできません。

怒りとそれに駆られた憎悪から発せられる言葉が、子どもの命を奪うのと同じように、残された子どもに悲惨な人生を強いる、ということになるかも知れません。これも世論による、残された子どもに対する生涯にわたる「心理的虐待」であるとは言えないでしょうか。

非難するだけでは、解決にならないどころか、正義のつもりで発せられる言葉や行為が、同じように子どもを虐げるものに堕ちていることは、よくよく考えてみれば誰の目にも明らかだと思われます。

少なくとも、裁判が行われ、事件の全貌が明らかにされて、司法による判断が確定する前の段階で、鬼畜による行為だと断罪するようなことを、国と報道と国民が、相乗効果の中で競う合うような構造は望ましいものであるはずはありません。

福祉機関と警察とでは、組織の役割や性格が大きく異なります

こうした怒りのエネルギーが、たとえば児童相談所や、市区町村の福祉や保健を担当する部局など、関係する行政機関の対応の不備を洗い出して改善を促す、ということもあることはたしかです。せめて、このような悲しい事件の発生が、虐待への総合的な対策を進めるための追い風になってくれれば、とは思います。

けれど、その怒りが、ともすると福祉の軽視につながって、「児童相談所の福祉的な対応だけでは、子どもを守ることができない」「虐待の事案は、児童相談所と警察のあいだで情報を全件共有すべきだ」といった主張へ傾きやすいことには、注意すべきです。

たしかに、処罰を優先しなければならないような悪質な事案や、保護者を加害者にしないために、警察と児童相談所が連携し、さらには司法の力を借りて力を持って対処すべき事案は、少なくはありません。しかし、それがすべてではないのです。

福祉や保健、教育などに携わる行政機関と、警察による協議会は定期的に開かれていますし、既に警察から児童相談所への出向人事は数多く行われています。私自身、深い福祉的な視点も備えたすばらしい警察官の方を何人も知っています。けれど、支援を必要とする一人ひとりに寄り添い、支え合いながら、より良い社会へ変革していくことを目的とする福祉機関と、犯罪を防止し社会の安寧秩序の維持を目的とする警察とでは、やはり組織の役割や性格が大きく異なるのですから、両者の垣根を取り払うということは明らかに行き過ぎです。

むしろ多くの虐待が社会的な問題を背景として生まれてくる実態を踏まえれば、福祉的な対応を充実させることこそが重要と私は考えます。それは決して子どもの安全を後回しにすることではありません。子どもが体験している痛みや悲しみ、保護者が経験している困難を理解しながら、子どもを守り、保護者を加害者にしないように関わるべきケースが、現場では大半なのです。

児童虐待をすぐに解決できる特効薬はありません

私は、児童虐待をすぐに解決できる特効薬はない、と考えています。当面の成果を求めるあまり、場当たり的な対策を性急に重ねることは、むしろ危険かもしれません。社会そのものを変えていきながら、少しずつ解決へ近づいていくしかないのです。これは今保護が必要な子どもを速やかに保護することと相反することではありません。

今の日本では、虐待は、誰に起こっても不思議ではない問題だと、私には思われるます。多くの人が離婚や再婚をする現在、シングルで子どもを育てたり、血縁関係のない子どもと家族になったりすることも増えています。両親が揃っていても、貧困から抜け出せずに厳しい暮らしを強いられることもあります。パートナーからのDVや育児ノイローゼも、実は身近に起きている事柄なのではないでしょうか。

ですから、対策も身近なところから行うべきなのです。たとえば高齢者福祉の分野で言われる地域包括ケアシステムは子ども家庭福祉分野においても必要なものです。分野や領域を越えて誰もが支え支えられる地域社会を作って行く。その中で子育てに困難が生じれば支援が受けられるようにしていく。

保育士の待遇改善などによって、保育体制を充実させ、学童保育も充実させる。一人親で病気になってしまったりしたときには、安心して子どものショートステイを受けられるようにする。教育を受けさせるのは親の責任という考えから脱して、どのような家庭の子どもでも十分な教育を受けられるようにすれば、貧困の悪循環から抜け出しやすくなるはずです。そもそも一人親のほとんどが働いているのにも関らず、半数以上が貧困の状態にあるという在り方自体がおかしい。

もちろん、そのような政策を実現するには、予算も人材育成も必要になってきます。たとえば、児童相談所や市町村の子ども家庭福祉の体制や人員だけを取り上げても、子どもたちのことを考えれば、今の何倍も強化すべきでしょう。そういった税金の使い道をしっかりと考え、選挙などでその意志を表明していくことも、虐待をなくす道筋の一つではないかと思うのです。

個別支援とともに社会の変革も目指すのがソーシャルワークです

まず大切なのは、怒りを燃やすことではなく、事実を冷静に見つめることだとすれば、それこそが、まさにソーシャルワーカーの仕事です。虐待の事案と向き合うためには、子どもが体験している痛みや悲しみ、保護者が経験している困難を理解しながら、子どもを守り、保護者を加害者にしないようにする姿勢が、欠かせないのです。

そのときに必要なのは、まず面接力や調査力です。そして、共感したり想像したり、情報を統合したりする力も必要になります。組織のなかで連携する力や、粘り強く取り組んでいく忍耐力も必要になるでしょう。ソーシャルワーカーに求められることはとても多様で、自らが意識的に取り組み考えていかなければ、身につかないことばかりかもしれません。

ただ、そのようにして懸命に学びながらも、忘れないでいてほしいことがあります。それは、ソーシャルワークは、一人ひとりに向き合って個別支援をすることであるとともに、社会変革を目指すものでもあるということです。

支援を通じて人々の暮らしの背景に社会問題があることに気づき、 それを誰もが理解できるように発信していく。そんな使命を胸に抱きながら、児童虐待の問題へ取り組んでもらえればと思います。


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